ニライカナイ−この夜にさよなら−(10) by ひろ (ペンネーム: 結城 潤)

 郷里の母

「お姉、今回の入院の話を田舎のかあさんには話しておいたんだよ。電話がかかって
くるかもしれないから一応念のため。」

 拓哉からはそう聞いている。しばらく拓哉のマンションに居候するにあたっては
部屋の鍵とあれこれこまごまとした注意書きを預かっていた。

 押しかけ女房みたいねといって二人で笑い合ったが、実際生活するとなると子細な
ことでも知っているといないとでは大きな違いがある。
 その点拓哉はきちんとしていて細かいところまで書きおき、メモを手にとれば
すぐに対応できるようにしておいてくれた。

 淳子はふと嫌なことに思い至った。

 まさかあの子、遺書まで残しているんじゃ・・・・

 自分の亡き後、残されたものが困ることの無いように。拓哉ならやりかねないが、
さすがにまだそこまでの余裕は無かったようである。

 拓哉がもっとも気にしていたのは故郷に残している年老いた母のことだった。
親より早くこの世を去ることに、それ以上の親不孝はないだろうと予てから話して
いたのだから。


 部屋の掃除をし、洗濯物を整理していると、電話のベルが鳴った。

「もしもし。」

「あ、淳子さんですか?拓哉の母でございます。」

 淳子は、はっとして息を呑んでしまったが、すぐに平静をとりもどして電話に
応えた。

「眞鍋です。拓哉さんには昔からお世話になっています。」

「いえ、こちらこそこの度は何かと御面倒をおかけしまして・・・。それに、あの、
拓哉が何やらご無理を申しまして。」

 淳子は拓哉の母が話した言葉の真意を図りかねたが、差し障りないようにできる
だけ言葉を選んで返事を返した。

「いえこちらこそ、なんだか居候みたいになってしまって・・・。しばらく御厄介に
なりますので拓哉さんのことは私が。お母様に御心配をかけないようにいたします。」

「御面倒をおかけします。すぐにでも行ってやりたいのですが、思うように体も動き
ませんもので。」

「ご無理をなさらないで。私、できるかぎりお力になりますから。」

 淳子の気持ちはもう決まっていたのだが、拓哉の母に今の気持ちをうまく伝えられ
そうになくて平凡な言葉で濁らせてしまった。

「本当に、ありがとうございます。では、拓哉のことお願いしますね。」

「お母様もお体を大切になさって。」

「ごめんくださいませ。」

「さようなら。」

 受話器を置きながら、緊張していた自分に気がついた。肩には力が入っていたし
手に汗をかいていた。
 面会に行ってとりあえず報告はしておかないといけないな。

 拓哉の着替えを用意して病院に行く準備を整えた。空気の入れ替えをと思って
開けていたベランダから、ひんやりとした空気が流れ込んできた。

 その冷たさが心地よくもあり、しかし冬の到来を感じさせるものでもあったから、
淳子は少し不安な気持ちになってしまった。

 拓哉には無事にこの季節を乗り越えてほしい。そう願わずにはいられなかった。
(2005.12.16)
Copyright(C) 2002-2005 結城 潤 

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