ニライカナイ−この夜にさよなら−(15) by ひろ (ペンネーム: 結城 潤)

 星の降る夜

 その宿は、最近天体観測で有名になってきた民宿だった。中国山脈の
山頂付近にあり、付近にはほとんど人工的な明かりはなく、宿の主が、
星空の観測のためにと明かりをけせば、遠く海岸沿いに瀬戸内の町明かりが
望め、真上を観ればこれまた都会では決してお目にかかる事のない、漆黒の
闇の中に一面白砂をまき散らせたような大小の星々が瞬いているのだった。

「すごい眺めだね。」

「あたしは、学生の頃ワンゲルやってたでしょ?山小屋でね、これに似た
すごい星空を眺めた事あるわ。」

「ああ、そうかぁ・・・。」

 淳子が初めて見たわけではないという事実が予想以上に拓哉を落胆させた。
「でもね、あの頃って本当に何を観ても感動するほど感受性の豊かな時代
でしょ?この歳になってある程度物事を落ち着いた視線で眺められるように
なってからは、一度も夜空なんてながめたことなかったな。」

 夜風に揺れる淳子の髪が、すごく近くにある事に今頃気が付いた。
 
「すごいね、この星の数。この星がいつ落っこちてもきても不思議じゃない。」

 自分の肩の側に淳子の息を感じながら、拓哉は早くメインイベントが
始まらないかと少し焦っていた。

「星空の宴はこれからだよ。瀬戸内海側の水平線をみててごらん。」


 この時期、水瓶座付近を放射点とする流星群を観る事ができるはずだ。
もちろん、時期が少し過ぎていて期待通りの流星が夜空を舞うわけでは
ないだろう。
 けれども普段以上にこの星空に、ある程度まとまった数の流れ星が
水平線から頭上に向かって流れてゆく光景を見る事ができるだろう。

「今夜この星空を流れる星たちは、遙か遠くハレー彗星の尾の一部だって
言われてるらしいよ。」

「はぁ。この夜空を見上げているとあたしたちって小さな存在ね。宇宙の
中に吸い込まれてしまいそうよ。」

 そっと肩を抱き寄せてみた。それに合わせるように淳子が身を預けてくる。
長い年月、遠くから見つめている事しかできなかった彼女を身近に感じて、
夜空に吸い込まれそうだと言った言葉を反芻した。

「このまま、お姉とオレとこの夜空がひとつになってしまいそうだな。」

 どのくらいそうしていたのか覚えていない。
見上げた視線を水平線へ落とすと、その光景は始まっていた。

「ほら!みて。」

 神々しいまでの光景。簡単に言葉で表すには口惜しいくらい心を揺さぶる
光の流れが目の前にあった。

 あの夏、日本海の海岸でみた流星。水平線から頭上に向かって流れる星々。
まさにあの時の光景がいま再現されている。

「たっくん、すごいよ。」

 二人とも息をひそめ次々に流れていく星たちを見送り続けた。

「この光の流れをお姉にみせてあげたかったんだ。流れ星はひとの魂が
夜空をかけていく姿と言われるけど、そんなことは・・・。」

 淳子の唇が拓哉の言葉を遮るように被さってきた。言葉を継ぐ事が
まるで罪であるかとでもいうように。

 拓哉の口から「死」という言葉を吐かせないという決意でもあるかのように。
(2006.07.11)
Copyright(C) 2002-2006 結城 潤 

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