もう幾日、時が流れたのだろう。カレンダーも時計も今の私にとっては
単調に時を刻むだけの機械仕掛けでしかなかった。

　その日も、私は御幸町のマンションで富貴子の描いた「紫の少女」の絵を
眺めて、鬱々と過ごしていた。
　気持ちが荒れて何日も眠れぬ夜を過ごした。
ひどく疲れてもいた。いつのまにかソファの上で眠りに落ちていた。

「・・・むらはん」

　夢を見ているのだろうか。
　芙美子の香りが私の頬のすぐ傍を包んでいる。
　耳元で私を呼ぶ声が何度も聞こえている。

　芙美子を待ち続けるあまりに幻影を見ているのだろうか。

　きっと幻なのだ。
　芙美子を思う気持ちがあまりに強いことと富貴子の思いを塗り込めた
「紫の少女」の絵を眺めすぎたからに違いない。
　私は奇妙な幸福感と失望感の間にあって夢と現の区別がつかないでいた。

「三邑はん・・・ただいま。」

　私は目を凝らした。芙美子がそこに佇んでいた。

「芙美子。戻ってきたのか。」

　はじかれるようにソファから身を起こし、そして芙美子を抱きしめていた。

　私は泣いていたかもしれない。

「いままで、どうしてたんだ。」

　詰問するわけではなかったが、曖昧な表情の芙美子に私の気持ちを投げてみた。

「かんにんえ。逃げ出したわけやあらへんの。ただ・・・」

「どこにいたの。」

「せんせの、とこ。」

　芙美子を抱いていた手が震えた。ひどく哀しい気持ちになった。

「鴨川に、ゆりかもめがいてるの知ったはる？」

　その唐突な芙美子の問いの真意を、その時私は測りかねていた。

「ゆりかもめは昼の間京へやってきて餌場や鴨川の河岸ですごしてんの。でも
夜になると比叡のお山を越えて琵琶湖へもどらはるねん。」

「芙美子、君の主治医のところで過ごしていたのか。」

「うん。具合わるうなってしもたし。」

　少しやつれてはいたが病気が悪くなったようには感じられなかった。
むしろ理由は別のところにあると思っていた。

　私の心は、自分から聞きたくはない事を敢えて聞かなくてはならない辛さと
格闘してた。

「その医者とは、つきあっているのかい。」

　芙美子は応えず、曖昧な微笑みを私に返すだけだった。