どこをどう歩いて帰ってきたのか思い出せない。
ふらふらになって歩きながら気がつけば御幸町のマンションにたどり着いていた。
　私は完全に酩酊していた。混濁していた意識の中で、琴乃の言葉だけが繰り返し
頭の中で響いていた。

　「右の肩にちょうちょが・・・」


　芙美子はベッドに横になっていたが、私が戻ってきたので目を覚ましたようだ。

　「三邑はん、おかえりぃ。なんやお酒くさいなぁ。たんと飲みはったんやな。」

　呂律の回らない口で私はかろうじて反論した。

　「見ての通りだよ。」

　芙美子がからかうように返してきた。

　「明日は二日酔いで、頭ガンガン、足下ふらふらってとこやろか。」

　二日酔いでふらふらになっても、いい作品を書いている作家のことを私は思いだしていた。


　ベッドに倒れ込むようにして横になった私に、芙美子がまとわりついてきた。

　「ねぇねぇ、気持ちようなることせえへん？」

　「こんな状態で？今夜は勘弁してくれよ。腹上死してしまう。」

　「ちぇっ、つまらんわぁ。せっかく気持ちええことしてあげよおもて、待ってたんえ。」

　「見ての通り、これだけ深酒してたら、役に立たないよ。」

　男とは情けないものだ。どんなに相手が好きで抱きたいと思っていても、精神的な負荷や
今夜のように深酒してしまうと、ほんとうに”お役に立てない”のだから。

　「それにしても、”腹上死”やて？三邑はん、そないにおじいちゃんとちゃうでしょ。」

　「年齢の問題じゃないよ。酒が入ってると、心臓に負担はかかるし、感覚が麻痺していて
うまくいけないんだよ。」

　「あーあ、うち寂しいわぁ。」

　セミダブルのベッドの上で、芙美子は私にくるりと背を向け、ひとりふてくされていた。
　こんなときできることと言えば、ベッドに潜り込んで、寄り添うように彼女の背後から
ぎゅっと抱きしめていてやることくらいだ。

　「んもう。えっちぃ。酔っぱらいは嫌いや。」

　言葉とは裏腹に芙美子はぴたりと体を寄せてきた。私は芙美子を抱き寄せながら芙美子の乳房を
両方の手のひらで包みこんだ。
　芙美子は少し興奮してきたのか体全体が熱をおびてきて白い肌がほんのりと赤みを帯びてきた。
それとともに右肩の蝶々がくっきり浮かび上がってきたのだった。

　−芙美子、君の右肩の痣は−

　口をついてでそうになった言葉を飲み込んで、黙り込んだ。
結局私は、今のこの状況を失いたくはなかったのだ。

　肩口の蝶々の痣について根ほり葉ほり聞いても、芙美子は何も答えてはくれないだろう。
第一、今のこの心地よい関係が一瞬にして崩れてしまうのは、容易に想像がつく。
　私にはその事態は、到底受け入れがたく、とても耐えられるとは思えなかった。

　それでも城戸や琴乃の言葉が頭の中を駆けめぐっていた。

　「深入りはお互いを不幸にするで。」


　都は、祇園祭の囃子が聞こえてくる季節になろうとしていた。